チャップリンからの贈りもの

喜劇の神様、ボクらにどうかお恵みを―。

どん底の2人が企てたのは、喜劇王チャップリンの遺体誘拐!実話が生んだ温かくてほろ苦い人生のおとぎ話。

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全世界を駆けめぐった驚愕のニュースの正体は、人生どん底の2人が天国の喜劇王に救いを求めた、とんでもなく間の抜けた犯行劇だった―。1978年、スイスで実際に起きた“チャップリン遺体誘拐事件”が、40年近い歳月を経てまさかの映画化。貧しい移民の2人組による犯行という事実を元に、コミカルなユーモアとほろ苦い人間味を加え、現代社会にも通じる極上のヒューマンドラマが誕生した。何をやっても上手くいかない失敗続きの2人が、家族や仲間の愛に支えられ、やがて自分の生きる道を見出していくストーリーは、つねに弱者の味方だったチャップリンへのオマージュにあふれている。ラストに訪れる“幸せすぎるどんでん返し”には、誰もが感動の涙を流さずにいられない。
映画化にあたり遺族の全面協力が得られ、チャップリンが埋葬された墓地がロケ地として提供されたばかりか、亡くなるまで住んだ邸宅に当時のままの調度品を揃え、孫娘のドロレス・チャップリンがそこでチャップリンの娘役を演じるという夢のようなシーンが実現。さらに息子のユージーン・チャップリンもサーカスの支配人役として出演した。また、サイレント時代の傑作『チャップリンの霊泉』をはじめ、『街の灯』『黄金狂時代』『ライムライト』など往年の名画から名シーンのオマージュが次々に登場。
音楽は『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』などで知られる巨匠ミシェル・ルグラン。哀愁を誘う『ライムライト』のテーマ曲を巧みにアレンジして、全編をきらめくような音楽で彩る。センスあふれる音と映像、繊細な描写と洒落た会話、そして、温かな人間愛。大人の香りに満ちたフランス映画の魅力の全てがここにある。
1977年12月25日。世界の喜劇王チャーリー・チャップリン死去。 スイス・レマン湖畔。お調子者のエディの親友オスマンは、娘がまだ小さく妻は入院中。医療費が払えなくなるほど貧しい生活を送っていた。そんな時テレビから“喜劇王チャップリン死去”という衝撃のニュースが。エディは埋葬されたチャップリンの柩を盗み身代金で生活を立て直そうと、弱気のオスマンを巻き込んで決死の犯行へ。

ところが、詰めの甘い計画は次々にボロを出すばかりか、ツキのなさにも見舞われて崩壊寸前。あきらめかけた時、追詰められたオスマンが最後の賭けに出た。人生どん底の2人に救いの手は差し伸べられるのか――。

本作はチャップリン遺体誘拐事件の実話に基づいているが、実際の事件のあらましはこうだ。—死去から2ヶ月たった3月2日の朝、チャップリン邸近くのヴヴェイ墓地管理人は墓荒らしに気付く。数日後、遺体と引き換えに60万スイスフランを要求する電話があった。妻ウーナは「夫は天国と私の心のなかにいます」と身代金取引を拒否したが、やけくその犯人たちは子供達に危害を加えると脅してきたので警察も本格的に捜査を始めた。映画と違って、犯人からの27回の電話に応対したのは、娘で女優のジェラルディンだ。女優らしく、悲嘆にくれている見事な演技力で会話を引き延ばして逆探知に成功し、事件は解決した。

 犯人は失業中のポーランド人自動車修理工と東欧からの亡命者。身代金で修理工場を建てるつもりだったらしい。映画の通り、ドタバタの2人組で、棺桶を掘り出す日が大雨だったので、土がドロドロで同じ穴のもっと深い所に埋めるという当初の計画(この計画自体よく分からないが…)を断念し、鉛の内ばりをした重い棺桶を遠くまで運ぶはめになった。(ちなみに、ホンモノの棺桶は黒と銀のビロードに覆われていた。)

犯人たちは棺桶をジュネーブ湖の西の端ノヴィーユ村の麦畑に埋め直していた。主犯の男がよく釣りに行っていた場所だったらしいが、とても静かな場所を選んでくれたことにウーナは感謝した。畑の所有者はその場所にステッキを飾り付けた小さな十字架を立てた。

本作は、チャップリン・ファンが見て納得のオマージュが随所に見られる。そもそも、『モダン・タイムス』の掘建て小屋のような家に住み、『給料日』のチャップリンのように高い所で作業をする本作の主人公は、そのままチャップリン作品に出てきそうな人物でもある。エディが誘拐計画を話すところで、口論の様子をサイレントで描く秀逸なシーンは、監督一流のサイレント映画演出。遺体を埋め直した後の長い沈黙も、コメディだけではなく人間の心理をサイレントで描いたチャップリンを手本にしているのだろう。

『サーカス』では、チャップリンは馬に追いかけられてサーカス団の花形道化となったが、エディは猿を連れてそのままサーカスの道化となる。しかし、そんな対比よりも、犯罪と道化を裏表として描くあたりが、なによりチャップリン的だとは言えまいか。  ラストの道化の楽屋のシーンは、メイクから衣裳まで『ライムライト』のカルヴェロの楽屋を模している。背後からキアラ・マストロヤンニがエディの肩に手を乗せる演技は、チャップリンとクレア・ブルームの有名なショットを思わせる。

そして、舞台に出て行く2人の道化の後ろ姿、片方がヴァイオリンを持っているのを見てはっとする。『ライムライト』のチャップリンとキートンの2人組そのままの姿だ。サーカスの幕が画面の両端を黒くして、スクリーンをチャップリンの時代と同じスタンダード・サイズにして2人を捉えて映画は終わる。最後まで凝りに凝ったオマージュに嬉しくなる、素敵なラストシーンだ。

映画の中で、庭のサクラの話が出てくるが、チャップリンと日本の縁は深い。彼のトレードマークであるステッキは、滋賀県産の根竹で出来たもので、戦前の日本の輸出工芸品だった。ロス・アンジェルスの土産物屋で見つけたチャップリンは、それを小道具として使うことを思い立った。彼の親日家ぶりがはじまるのは、映画デビュー3年目の1916年のこと。その年の秋に日本人の高野虎市を運転手として雇って以来、彼の誠実な働きぶりに惚れ込んですっかり日本びいきとなったわけだ。高野を通じて、歌舞伎やチャンバラに興味を持った喜劇王は、生涯に4回来日している。初来日は、1932年5月14日。翌日に五・一五事件が勃発し、犬養毅首相が暗殺される。実は、海軍将校たちは、世界的に著名なチャップリンも一緒に殺害することで日米開戦へと持ち込めると思っていたが、すんでのところで彼は官邸の歓迎会に行かずに、相撲見物に切り替えたことで命拾いした。

来日中は、エビの天ぷらを30匹平らげたことで「天ぷら男」とあだ名されるなど存分に楽しんだようだ。古き良き文化が好きだったチャップリンは、1936年と戦後1961年に訪れた京都を愛し、西陣で貰った絹のガウンを晩年まで愛用し、居間には日本人形もあった。

日本人もチャップリンのことが大好きで、デビュー直後はアルコール先生という愛称で人気者になったし、大正期には「日本チャップリン」という漫才師もいた。『街の灯』が歌舞伎化されたことを思うと、笑いと涙のチャップリンの世界は日本文化に通じるところもある。チャップリンと日本は、まさに相思相愛の関係とも言えるだろう。

日本チャップリン協会会長・脚本家 大野裕之
1964年ベルギー生まれ。フランス映画界のコメディの天才と称され、コメディからシリアスまで幅広い役をこなす。92年、原案から監督、脚本、撮影、主演をこなした「ありふれた事件」を発表。この作品は、カンヌ国際映画祭批評家賞をはじめ、数々の映画賞に輝いた。02年には、大ヒットコメディ「ル・ブレ」に出演し、若手俳優に贈られるジャン・ギャバン賞を受賞するなどで人気になる。その他出演作に『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』(04)、『ココ・アヴァン・シャネル』(09)など。
1965年フランス生まれ。87年映画デビュー後、93年に出演した『私の好きな季節』では脇役ながら強烈なインパクトを残し注目を浴びる。本作監督のグザヴィエ・ボーヴォワが主演・監督・脚本をつとめた『N‘oublie pas que tu vas mourir』(95)に出演しているほか、主な出演作に『愛する者よ、列車に乗れ』(98)、『あるいは裏切りという名の犬』(04)、『この愛のために撃て』(10)、『シャドー・チェイサー』(12)など。
1972年フランス生まれ。マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴの間に生まれ、93年にアンドレ・テシネ監督の「私の好きな季節」でデビュー。母と共演した本作で翌年のセザール賞有望若手女優賞にノミネートされ、注目を浴びる。また父の遺作の監督マノエル・ド・オリヴェイラの『クレーヴの奥方』(99)で主役を努めた事も話題になる。その他主な出演作にロバート・アルトマン監督作『プレタポルテ』(94)、『そして僕は恋をする』(96)、『クリスマス・ストーリー』(08)、『愛のあしあと』(11)などがある。
1941年アメリカ生まれ。名脇役として知られ、俳優、作家活動のほかに、多くのドキュメンタリー映画やオーディオブックでナレーションを担当、ソルトレイクシティオリンピックのオープニング・セレモニーのナレーションも務める。またアカデミー賞のテレビ放送ではプロデューサーも担当するなど活動は多岐に渡る。主な俳優出演作に『E.T.』(82)、『キカ』(93)、『パッチ・アダムストゥルー・ストーリー』(98)、『エリン・ブロコビッチ』(00)など。
1967年北フランス生まれ。パリへと移り映画監督を志す。アンドレ・テシネ、マノエル・ド・オリヴェイラのもとでアシスタントとして働き始める。23歳でデビュー作『Nord』(91)の脚本、監督、出演を務めセザール賞最優秀デビュー賞にノミネートされる。続く『N’oublie pas que tu vas mourir』(95)では、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、名誉あるジャン・ヴィゴ賞にも輝いた。『マチューの受難』(00)、『Le Petit lieutenant』(05)はヴェネチア国際映画祭に出品され、『神々と男たち』(10)で世界的な評価を獲得。同作は第63回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリに輝いた。世界中で称賛を受け商業的にも成功を収め、セザール賞で作品賞を受賞した。
脚本家の他に、映画製作のプロデューサーとしてこれまで数々の作品に携わってきた。製作した代表的な映画作品として、本作監督作『神々と男たち』(10)が第63回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞、第83回アカデミー賞外国語映画賞フランス代表に選ばれた。その他の担当作に、ローラン・ブニーク監督作『ブラウン夫人のひめごと』(02)、ルネ・マンゾール監督作『迷宮の女』(03)、クロード=ミシェル・ローム監督作『クロス・ファイヤー』(08)、『大統領の料理人』(12)などがある。
1954年フランス生まれ。フランスを代表する女性撮影監督。1975年にパリの高等映画学院を卒業後、撮影助手として、ゴダール、リヴェット、ストローブ&ユイレらの作品に参加。シャンタル・アケルマン監督『一晩中』(82)で撮影監督をスタート後、ジャン=リュック・ゴダール監督『右側に気をつけろ』(87)、フィリップ・ガレル監督『ギターはもう聞こえない』(91)、ジャック・ドワイヨン監督『ポネット』(96)、レオス・カラックス監督『ホーリー・モーターズ』(12)、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』(12)などの撮影を担当。本作監督の『神々と男たち』(10)ではセザール賞撮影賞を受賞している。昨今は映画監督にもチャレンジ、最新作に『画家モリゾ、マネの描いた美女 名画に隠された秘密』(15)がある。
1932年フランス生まれ。父は『裁きは終わりぬ』、『トパーズ』などの映画音楽を手掛けたレイモン・ルグラン。パリ音楽院に入り音楽を学び、20歳の頃首席で音楽院を卒業。その後人気歌手のカトリーヌ・ソヴァージュに『パリ・キャナイユ』の編曲を提供、その曲が大ヒットしたことによって、一躍音楽界で脚光を浴びるようになる。映画音楽は1950年代から始め、『アメリカの裏窓』(58)、巨匠マルセル・カルネ監督の『広場』(60)などを手がけ、さらに60年代はアニエス・ヴァルダ監督『5時から7時までのクレオ』(61)や、ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』(61)、フランス映画の新鋭監督らによるオムニバス『新七つの大罪』(61)などの音楽も担当し、当時のヌーヴェル・ヴァーク作品を築いた。 64年、ジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』が大成功し、その後も『ロシュフォールの恋人たち』(67)や『ロバと女王』(70)、『モン・パリ』(73)などを手掛ける。その他の作品にクロード・ルルーシュ監督の『愛と哀しみのボレロ』(81)、『プレタポルテ』(94)など多数の作品を手がける映画音楽界の巨匠。